スマイルボディの松尾です。
藻の一種で、必須アミノ酸9種類全てをはじめ、ビタミン・ミネラル・不飽和脂肪酸・解毒物質パラミロンなど59種類の栄養素を含む理想的な総合栄養補助食品「ミドリムシ」。
以前から注目されていたものの、栄養価があまりに高くて美味しいため、培養するとすぐに他の生物が侵入してミドリムシを食い尽くしてしまい、大量培養が長年できなかったんだそうです。
その大量培養を苦労の末に成功させたのが、日本のベンチャー企業「ユーグレナ社」。
2015年「日本ベンチャー大賞(内閣総理大臣賞)」も受賞しました。
そのユーグレナ社の社長 出雲 充 氏の著書、起業から大量培養成功までのことが書かれた『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』の要旨をご紹介します。
いま日本に、世界から注目を集めるバイオベンチャーがある。 名は、株式会社ユーグレナ。 「ミドリムシ」の大量培養技術を核に、世界の食料問題、エネルギー問題、環境問題を一気に解決しようと目論む、東大発ベンチャーだ。 そのユーグレナを創業した出雲充氏が、起業に至る7年と、起業してからの7年を初めて語る。
『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。 東大発バイオベンチャー「ユーグレナ」のとてつもない挑戦』
世界で初めてミドリムシの大量培養に成功した 「ユーグレナ」の起業秘話
世界の食糧問題、エネルギー問題、環境問題を一気に解決しようと目論む企業があります。その名は「ユーグレナ」。和名の「ミドリムシ」を意味するこの企業は、05年に起業後、世界で初めてミドリムシの大量培養に成功し、12年に東京証券取引所マザーズ上場を果たします。今回は、「2015年企業広報経営者賞」を受賞した同社社長の起業秘話を描いた『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』を紹介しましょう。
株式時価総額は上場時の10倍以上! バイオベンチャー「ユーグレナ」の成功物語
出雲充著
出雲社長は、藻の一種である和名ミドリムシ(学名ユーグレナ)を中心とした微細藻類に関する研究開発および生産管理、品質管理、販売等を展開するユーグレナを05年8月に設立し、12年に東京証券取引所マザーズにおいて株式を公開、14年には同取引所第一部への上場を果たしました。
株式公開後は一貫して売上高を拡大し、企業価値を評価する重要な指標の一つである株式時価総額は、上場時の106億円から約1300億円にまで増加しています。ミドリムシはその知名度向上とともに独自の食品や化粧品などの素材として利用されるようになり、また、ミドリムシに含まれる油を用いたバイオジェット燃料の研究開発にもチャレンジしています。
本書『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』は、そのユーグレナの株式公開とほぼ同時期に刊行されたものです。
この本の主役は著者でもある出雲社長自身であり、およそ5億年前に地球上に生まれた単細胞生物ミドリムシです。本書は、世界で初めてミドリムシの大量培養に成功したユーグレナというベンチャー企業生誕の物語であり、「どんなちっぽけなものにも可能性があり、それを追い求めていけば、やがてその努力は報われる」ということを出雲氏なりに証明してみせた本でもあるのです。
ミドリムシの増産に成功すれば食糧危機を解決できる
では、なぜミドリムシが地球を救えるのか。出雲氏がそれを確信したのは、東京大学の近藤次郎名誉教授が1989年に発表した「地球環境を閉鎖・循環型生態系として配慮した食料生産システム ユーグレナの食料資源化に関する研究」という1本の論文に接したことがきっかけでした。 ミドリムシのポテンシャルは本当にすごい。 ミドリムシは植物と動物の両方の性質を持っているので、両方の栄養素を作ることができる。その数は、なんと59種類にも及ぶ。ミドリムシを大量生産し食料資源化ができれば、将来、日本に食料危機があったとしても、輸入食料に頼らずに必須栄養素を賄うことができる。 しかも農地ではなくてプールで生産すればいいので、工場跡地や砂漠のような土地はもちろん、バングラデシュのヒ素で汚染された土地でも生産できる。さらに2000年頃の日本ではまだ盛り上がっていなかったが、「将来、必ず地球温暖化が大きな問題となる」ということが言われ始めていて、そうなったときはミドリムシにCO2を減らしてもらうことができる。はるか5億年前からCO2を吸収してきたミドリムシは、高等植物よりも圧倒的にCO2の処理能力が高い(専門的には、光合成能が高い)ので、森林が減少した分の酸素の生産を補うことが可能になるのだ。 さらにさらに、世界人口は爆発的に増えることが予測されているが、ミドリムシを増産することで、地球環境を維持しつつ、世界の人々は健康に暮らすことができるだろう、と論文には書いてあった。(50~51ページ) ただし、この論文は「ミドリムシの大量培養が成功したら」という仮定のもとで書かれたものでした。つまり、この時点でミドリムシの培養には、世界でまだ誰も成功していなかったのです。「月産耳かき1杯」しか産出できなかったミドリムシ
なぜ、ミドリムシの培養は難しいのか。それは、ミドリムシの栄養価があらゆる微生物の中でトップレベルにあるからです。「美味しすぎる」がゆえに、培養しているあいだに他の微生物が侵入し、あっという間にミドリムシを食い尽くしてしまうのです。だから培養は極めて難しく、わずかな汚染で全滅してしまいます。当時の技術では研究室内で「月産耳かき1杯」程度、すなわち月にほんの数グラムしか産出できず、産業として成り立つ目処など夢のまた夢、という状況だったのです。 日本のミドリムシの培養研究には長い歴史があり、その中心となったのが80年代に当時の通産省が中心となって進めた「ニューサンシャイン計画」でした。ミドリムシを大量培養することで、食料自給率の低い日本の緊急時の食料をすべて賄い、温暖化の原因となっている二酸化炭素もミドリムシに吸収させて削減し、さらにはミドリムシから燃料を取り出して、日本の悲願である国産エネルギーを賄う計画でした。 この壮大な国家プロジェクトはしかし、失敗に終わりました。その後、ミドリムシの研究に従事する若手の学者もほとんどいなくなりました。出雲氏は時計の針を20年前に戻し、ユーグレナ社取締役で研究開発部長を兼務していた鈴木健吾氏とともに、かつて研究者が行った研究を繰り返し、北は北海道大学から南は宮崎大学まで、日本中のミドリムシ研究者たちを訪ねて回りました。もう一人の仲間、福本拓元(たくゆき)取締役と3人で立ち上げたユーグレナは、かくして石垣島に培養実験用のプールを確保し、ミドリムシの事業化に着手したのです。そして05年12月16日、ついにその日がやって来ました。 夕方の6時頃、六本木ヒルズのライブドアの会議室を借りて、福本たちと今後の会社の運営などについて話し合っていたときに、一本の電話があった。鈴木からだった。 「出雲さん。やりました。プールが、ミドリムシでいっぱいになりました」 「本当か!」 「はい。いまも順調に増え続けています。培養に成功したといって、間違いありません。これからミドリムシを『収穫』します」 鈴木はこのとき、乾燥した状態で66キログラムのミドリムシを収穫した。2004から2005年までは、1リットルのフラスコから1グラムのミドリムシが取れるレベルだったのが、比較にならないほどの量が取れるようになったのだ。(126~127ページ) だれもできなかった大量培養に、いったいどのような方法を用いて成功したのか。勿体を付けるわけではないのですが、詳細は本書を読んでいただきたい。成功のカギは、なんと「蚊取り線香」が握っていたのです。とまれ、これでミドリムシを事業化する道がようやく拓ける――。出雲氏はそう確信しました。 ところが、です。大量培養成功からちょうど1ヵ月後の06年1月16日。当時、東京・六本木ヒルズに本社があったライブドアのオフィスに、東京地検特捜部による強制捜査が入ったのです。廃業の危機を救った伊藤忠商事の資金援助
じつは、当時ライブドアの社長を務めていた堀江貴文氏もミドリムシの可能性に興味を持ち、ユーグレナに出資をしていました。ユーグレナは六本木ヒルズ38階にあったライブドア本社の片隅を間借りしていたほどで、両社の関係は近しいものでした。メディアの矛先がユーグレナに向かうのは時間の問題だったのです。案の定、ライブドアと関係があったというだけで、ユーグレナもミドリムシも世間から嫌われてしまいました。この日以降、すべての風が逆向きに吹き始めたのです。1月17日から約1ヵ月間、出雲氏は事業を諦めるかどうするか考え続け、そして決断します。 僕には、いつでも財布に入れて持ち歩いているものがある。 それは2006年2月17日の日付が入った、銀行の振込明細だ。 その日、僕はユーグレナを続けることを決めた。ライブドアに出資してもらっていた分の株式を、自分の貯金で買い取り、関係を断つことにしたのだ。(143ページ) しかしながら、06年2月17日からの3年間はなにをやってもうまくいかず、試練と苦難の日々が続きました。『上手な会社の潰し方』『人に迷惑をかけない破産の仕方』といった類のタイトルの書籍を買い求め、それらを暗い気分で読みふけり、人がいないところでよく泣いていたそうです。 資金ショートの危機が続くユーグレナでしたが、たった一つだけ望みが残っていました。その希望とは、大手商社の伊藤忠商事が資金援助を検討してくれていることでした。そして08年5月、ついに伊藤忠商事から出資を受けることが決まりました。この日を境に、ユーグレナをめぐる環境は劇的に変わっていくのです。 「あの大会社の伊藤忠が応援している」 「東大で研究していて、世界で初めてミドリムシの大量培養に成功したらしい」 「まだ日本のユーグレナというベンチャーしか持っていない。世界初の技術だ」 そんな理由で、石油会社や、航空会社、ゼネコンなど、徐々に興味を持ってくれる企業が現れた。それまでの苦労が、まるで嘘のような展開だった。(173ページ)以下省略